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アサヒ軽金属『活力鍋』・さよならSEB鍋

長年愛用しているアサヒ軽金属の『活力鍋』。
旧モデルであります。
もう絶版なので同じ物を買うコトは出来ないのだけど、パッキンなどの消耗品は普通に買えていたので呑気に構えていたら。
なんと消耗品も「販売終了」となってしまっていた。

カナシイ。

使い慣れた道具が使えなくなる日を考えるとソワソワしてしまう。

それならば。と。
メルカリやヤフオクにパッキンが出てるかもしれない。と物色していたら。

パッキン→相場2000円。
活力鍋→相場3000円。

色々オカシイ。
それがヤフオク及びメルカリ。笑

迷ったんですが。
数回しか使用していない鍋がエエ感じで落とせそうなので、モノは試しでエントリーしてみたら2100円で落札できちゃった。
送料合わせて約3400円。
もう売ってないけど、定価で買ったら2万円越えなので…パッキンだけで2000円+送料。
ほぼ新品の鍋全部が2100円+送料。

私、基本的に「欲しいモノ」しか買わない性分なので、こういう時でもパッキンだけを買ってしまいがちな人間なのですが。

今回は負けました。笑

でも、5.5リットルの大鍋ですから。
収納問題があるわけです。

実は今、もう1つ圧力鍋を使っております。
ティファールの前身「SEB」の圧力鍋。
コレは母が鼻息荒く購入した40年前くらいの年代物であります。
度重なる引っ越しなどにより、鍋の蓋が若干ゆがんでおりまして、圧が抜けます。笑
弱・圧力鍋。
でも、これはこれで良い感じで使っていたのですよ。
微妙に圧が抜けるのも込みで。

とは言え。

じゃぁ、長年レギュラーで使っていた活力鍋が2つになるのと
活力鍋が塞がっている時のピンチヒッターとして出てくるSEBと、どっちが良いのか。
と自問自答すると。

まぁ、活力鍋ですわ。笑

お母さん、ごめんね。
捨てないけど引退してもらいます。

というワケで。
パッキンを買いたかった筈なのに。

結局「パッキンもう2つ予備欲しい!」
なんなら6個くらいストックしときたい!
という本末転倒な感じになっちゃいました。

探さなきゃ。
でもなんか嬉しい。




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コメダ

‪3連休すっかりダラダラして身体痛いとか贅沢病にかかっておりましたが。
火曜日通常運転したらスパッと背中の痛みも無くなりまして。笑
グータラしてると身体も怠けるんだなと思い直し。
今日は朝から冷たい雨が降っていて寒かったけど、重い腰を上げて午前中に仕事を全部終わらせて、昼イチでプール。‬

‪いつもの通り30分で1000m。‬
休まず続けて泳ぐとだいたい1000mで汗をかく。
プールは冷えるから、暑くなるまでガンガン泳いで、暑いうちに熱いシャワーを浴びて出る。

帰り掛けにお腹空いている事に気付いて遅めのランチ( ¨̮ )

モンブランシロノワール…迷ったんだけど…。
普通にごはんを頼んでしまった…。
(おなか空いた)

それにしてもこのコメダの『落ち着く感』すごいな。
オシャレさとか全く取り入れようとしない潔さに気概を感じる。

山小屋風の店内とソファー風の椅子。
1人でも遠慮なく4人席に座れるレイアウト。

本日も小説持ち込みで暫しまったりさせていただきます。
2020112514220648b.jpeg

テーマ:日記 - ジャンル:日記

251歩

この3連休、文字通り家でダラダラいたしました。
251歩って!!!笑



最近は家の中ではiphone持ち歩かないようにしてるので、家事分を差し引いたとしても。

それにしても251歩はなかなかでございます。


注目すべきは火曜日と木曜日。
チビッコ教室は火曜日と木曜日にあるのですが、歩数はメチャクチャ少ないのですよ。
だいたい2000歩から3000歩ですから。
外あそびにも連れて行くのだけど、チビッコの足だからそんなに遠くへは行きません。
なので歩数は少ない。
だけど、この両日は20000歩あるいた日よりヨレヨレになります。笑

集中してるのもあるだろし、緊張感とかもあるだろし、中腰とか座ったり立ったりとか、急に動くとか。まぁ、色んな要因はあるのだろうけれど。
とにかく「ヨレヨレと歩数」は関係ないってことです。

それはともかくとして。

この3連休は娘の部活もなく、お弁当も朝食の準備も必要なかったので、3日連続で朝寝坊して睡眠たっぷり。

寝すぎて背中が痛いとか、背中が痛いからプール行こうとか。
これを贅沢と言わずして何を贅沢と言うか。

昼過ぎから娘も出掛けちゃったので、読んでた小説を読み切って(銀河鉄道の夜)掃除して庭木切って、洗車して、それから仕事の準備して、大学のレポート書いて、終了。

プールはもう無理。眠い。笑


家に誰も居なくても、勉強する時は自室(寝室)がはかどる。

寝室の隅っこに小さい机を置いただけのスペースなんだけど。
作業しながら外が見えるのも良いのかも。静かだし、落ち着く。

そろそろ年末だもんなー。
年賀状とか、喪中はがきとか(もうかなり出遅れてるけど)、確定申告の準備とか、色々と年末の支度を始めないとイケナイな、と。

去年の年末は娘が受験だったからアレで「来年は恒例のスキー旅行…」なんて思っていたけど…。
コロナでアレだし、夫は単身赴任だし。
夫も久しぶりに家に帰って来たらノンビリしたいよねー。

今年は家正月でしょうな。
お取り寄せとかしちゃおうかな。
ニヤリ。

まるで「ドラエモン」

小学2年生から4年生までの3年間、担任をしてくださっていた恩師と40年の時を経て再会しました。

facebookで発見し、思い切ってメッセージを送ったのが4年前。
教師生活を40年近く続けられて、教職を退いてさらに約5年。
到底覚えているとは思っていなかったし、何百人もいる教え子がみんなしてメッセージを送って来たらそれこそ大変なワケで「こういうのってきっと迷惑だろうな」…と思いつつ。
迷いに迷った挙句、気持ちを抑え切れずに送ってしまった。

それと言うのも、幼稚園から高校生までの15年間の中で「最も印象に残っている先生を1人挙げろ」と言われたら、迷うことなくK先生を挙げるほど、私の人生の中で「大切な先生」。

たくさん自身をつけさせてもらった。
学校が大好き、勉強も大好き、友達も大好き、そしてそんな自分も大好き!
だって先生が大好きだから!!!笑

そんな3年間だった。

K先生は、大人になってから振り返ると、かなり革新的な先生だった。

昭和40年代の当時、女の先生はナチュラルメイクで割とキチンとした恰好をしている先生が多い中、
K先生はVネックのTシャツにジーンズ、首元にチョーカーでカーリーヘア。とか。
髪型もよく変えていて、かなり明るく染めたワンレングスだったり、頭の上でチョンマゲみたいにまとめてみたり。
口紅はローズ系やオレンジ系でなくベージュ系。
キビキビした話し方なのに、命令口調では話さない。

授業中の机の配置は、グループごとで給食を食べる時のような5人や6人でくっつけて、その状態で授業を行っていた。
「挙手して指されたら発言する。」というのが当たり前だった昭和のあの頃、発言をするような課題がある時は、班で話し合い代表者が発表する。というスタイルを取っていた。
なので、授業中も「必要な会話」なら割と自由に許されていた。
反面、けじめが無い行動は班単位で叱られた。
班で向かい合って座っているので、先生が叱る前に隣や前に座ってる子が気付くだろうと。
「自分さえ叱られなければいいの?」という問いかけを小2に対してして来るような先生だった。

今どき、こういうグループ授業は割とあると思うのだけど。
当時はそんな先生いなくて、とても新鮮だった。
何を決めるでも、子ども達が「自分達で考える」スタイル。
それが対等に扱われているようで、とても嬉しくて、物凄く張り切ったのを鮮明に覚えている。
とにかく全方位に頑張った。笑

その後、15歳の時に家のゴタゴタがあって、自分の進路とか夢とか、そういうコトの全てを放棄してしまうのだけど。
少なくともK先生に出会ってからその後、14歳までの私は「なんでも頑張る子」でありました。
長い人生、キラキラしている時期ばかりじゃないけれど。
でも、そういう時期が「あった」と思えるのはとても素敵なコトだ。

12時に駅前で待ち合わせをしたのだけど、先生を見つけれらず。
まだいらしてないのかな…と思い、待ち合わせの5分前に私の服装の特徴を書いてメッセージを送ったら。
「しょう…こ…ちゃん?」と。

お互い気が付けませんでした。笑

だって。
記憶の中の先生より、ずっと小さい!!笑
実は、K先生は小柄だったのですな。
身長が私とほとんど変わらない。(152㎝の私が言うな。だけど。笑)

10歳の子から見る憧れの先生ですから。
記憶の中で大きくなっているワケです。
あるあるですね。

そして私自身、子どもの頃から随分顔立ちが変わっていて、よく「面影があまりない」と言われるので…先生も私の顔をまじまじ見て「全然わからない!」と笑いながら仰ってた。

でも、お会いして正面に座ってお喋りをしていると、もう完全に「K先生」なのです。
表情や話し方、それから一番記憶のスイッチを押されてのが意外なコトに「手の動き」。
人の記憶って不思議。


先生が持って来てくださった集合写真を見ながらランチをしたのだけど、その時はお互い2人くらいしか名前を思い出せず…。(先生はともかくとして、私までも!)
ところが。
レストランでワインを飲み、ほろ酔い気分で場所を我が家へ移し…。
ウチのアルバムを開きながら写真を見ていたら、あるエピソードをキッカケに、次から次へとクラスメートの名前が記憶の扉から出て来る出てくる!
しかも、くだらないエピソードと一緒に!

それに触発されて、先生もどんどん思い出して来て。
2人で些細過ぎるエピソードを言い合っては「そうそう!」なんて笑い合うという、同窓会みたいなノリに。笑



とても楽しいんだけど
ずっとずっと頭の後ろの方で「なんだこのシチュエーションは!」と不思議マークが点灯しているという、本当に不思議な体験でした。

だって、小学生の私と先生は「生徒と先生」で「子どもと大人」。
なのに、今、あのK先生と完全に「大人と大人」で会話しているワケです。
しかも、不思議なコトに20歳の年の差を全く感じずに会話している。

まんま「ドラエモン」です。

私自身、9月に姉を亡くしたばかりで、ここ最近はほとんど人と会っていなかったのだけど。
そんな矢先、10月の初旬、先生から「鎌倉に行く用事があるのでよかったら会いませんか?」とメッセージが届いた。
姉の納骨が済んだ後、最初に会う人がK先生ってすごく素敵なコトかも。と。
そんなワケで、10月の初旬に誘って頂いたのだけど、実際にお会いするのが11月の半ばとなってしまった。

そしてさらに驚いたのが。
先生も8月にご主人を亡くされたばかりだったそうです。
facebookでも、2人で仲睦まじくバカンスへ出かけるポストがたくさんあったので、さぞや傷心の最中だろうと。
もしかしたら、先生も今「ご主人がいない世界」に身体を馴染ませていらしゃる最中なのかもしれない。
お互い、大切な人を亡くしたばかり。ということは、もちろんお会いするまで解らなかったのだけど。

こういう不思議なコトって、人生のウチで何度かある。

すっかり楽しいお喋りに花が咲き。
暗くなる前に…ということで、駅まで歩いてお送りした。
帰り道、空を見上げたら上弦の月と金星がとてもキレイに輝いていた。



生きてる間しか、生きてる人間と接する事ができない。

が病と共に生きるようになってからずっと思っている事がある。

障害や病を抱えて生きる事は「よくない事」なのか。
出来ない事が増えるのは「よくない事」なのか。

本人にとっては「喜ばしい事」ではないだろう。
それは確かだ。

でも、本人以外の人にとって。
たとえば、私にとって「その人」が大切な人であればある程
「その人」が病気だとか障害を持ってるなんて事は「事実」でしかなく
別に「よくない事」ではない。

私にとって「よくない事」があるとしたら
それは
大切な人が、病気や障害を抱えて辛かったり不自由だったりして気持ちが落ち込んでしまう事だ。

だから、自分が出来る範囲でサポートしたいと思う。
実質的に手を貸す事もあるだろうし
気持ちの面でサポートする事もある。

最も哀しいと思うのは
大切な人が自分のコトを「お荷物」だと感じてしまうこと。
病気や障害のせいで「人に迷惑を掛けている」と感じてしまうこと。

これは、いくら周りが「そんなコトない」と言ったところで
自分に置き換えてみれば、その気持ちをゼロにするのは難しいだろうと思う。

だからこそ
「少なくともワタシはそんな風に思っていない。」
というメッセージを送り続けることが大切だと、私はずっと思っていた。

でも。
近い人が「出来ない事」ばかりに注目し
病が進行するのは「努力が足りないから」だと責め続け
病気である事も障害を一生抱えて行くことも、本人以上に受け止めてくれなかったらどうだろうか。

それは本当に辛いことだと思う。

晩年、日に日に出来る事が少なくなって落ち込むに、会うたびに言っていたコトがある。
「どんな風になったってだよ。何も変わらない。」と。

それは実際、本当にその通りで。
の両目が見えなくなってから15年の歳月が流れたけれど。
目が見えていた時とそうでない時と、私にとっては何も変わらない。
は姉。
それに亡くなる前の1年はともかくとして、それ以前の姉は出掛けることも出来たし、お喋りだって普通に出来た。

進行すると解っている病なのに「できなくなった事」に注目する必要なんてない。
少なくとも周りは。
本人が一番怖いんだもの。
話しを聞いてあげるだけで良いと思う。

楽しい話しも
不安な気持ちも
それから一番わかってもらいたい人にわかってもらえない悲しみも
2人でいつもの通り「仮想仕返し」を考えて最後はゲラゲラ笑ってスッキリしてた。

人間は
生きてる間しか、生きてる人間と接する事ができない。

死んでからする後悔なんて、本当に不毛だ。

でもきっと姉は、空の上から「ほらね」って言ってると思う。
そういう事には全く同情しないタイプ。
そういうところ、超クール。

秋さんぽ

午前中、チャッと仕事と家事を済ませて散歩へGO!
水曜日はプールに行く事が多いのだけど、今日は何となくプールに行かない方が良い気がしたのでウォーキングに切り替えた。

20度だって。
こう気温が定まらないと体調管理も難しいやね。
やたら感想してるし。
とか言っちゃってるけど、やっぱり雨より☀の方が良い。

青空に映える皇帝ダリア。
この花を初めて認識した時はビックリした。
物凄く大きくなるんよね。突然。
「こんな植物ココにあったっけ?」と思うくらい、夏ごろから突然ニョキニョキと伸びて来る。
なかなかの迫力。
駅ビルに用事があったので、大船西口の目の前にある黙仙寺の紅葉が色づいているかな…と敢えて境内を通って西口に降りたのだけど。
黙仙寺の紅葉はまだでした。(毎年遅いからまだだろうとは思っていたけど。笑)

あさっては夫の誕生日なので、誕生日カードと一緒に同封する「美味しいモノ」を物色しに駅ビルまで。
ちなみに誕生日プレゼントは「自分が欲しいモノを買う」システムです。
それで、家族からはささやかなプレゼントを贈る仕組み。
なんだけど、今年は会えないので…ひとまずカードを送ることにした。

宅配便が受け取れるなら、好きなお料理をクール宅急便で送ってあげるのが一番よろこぶのだと思うけど…。
何しろ荷物を受け取れる時間に家に居ない…。
なのでポストに入る大きさの物限定となってしまうのです。

スイーツ売り場をウロウロして「常温で行ける厚みの出ないモノ」を探す。
無類の豆好き、いつも鞄にビターチョコの夫なので。
検討の結果、まめ屋の豆菓子詰め合わせとチョコレートに決定。

夫と次に会うのは12月中旬。
姉のお骨をウチのお墓に収める時に。

それから、金曜日に会う小学校時代の恩師の先生にお出しするお茶菓子と珈琲を購入。

駅前でランチして遠回りして帰宅。
西口からグルっと横浜市の方へ進んで畑と森の中を通って帰る道がお気に入り。
娘が通っていた幼稚園の前の道も好きなのだけど、何しろそのルートは人に遭う率が高すぎる。
人に遭遇するたびに立ち止まって立ち話をしていたらウォーキングになりませんからね。笑

9月ごろまだ小さな株だったキャベツやブロッコリーはすっかり収穫期。
立派!
メチャクチャ美味しそう。



雑草のような勢いで生えてるホウレンソウと大根。
採りたてだと甘いんだろなー。
大根の葉っぱとか出荷前にいっぱい捨てられちゃうんだろなー。
食べたい。

それから見たことがない野菜。
なんだろコレ。
食べてみたい。
どんな味がするんだろう。


若い頃は完全夜型人間で、朝は弱いし、身体も常にどこか不調だしで、全く考えたこともなかったんだけど…私、多分、畑仕事が好きだと思う。
下の娘が大きくなって、外歩きを1人でするようになってから畑を見るたびにそう思うようになった。
黙々と手順を間違えずに手を掛け気を配り…そして結果が目に見える。
収穫するとリセットされるのも良い。
多分、楽しい。
一番最初に就職したハーブ屋さんでも、グリーンの担当の時が一番楽しかった。
観葉植物の寄せ植えとかハーブの苗とかを売っていたのだけど。
寄せ植えを作るのもそこそこ好きだったけど、それよりも何よりも、店に置いといて弱った植物を店の屋上で再生させるのがメチャクチャ癒しになっていた。笑
でも本店勤務(原宿)は1年だけだったので、それ以降は横浜のビルの中だったから…植物たちは売れなかったら死んでしまう一方で可哀想だったな。
「家に持って帰って育てても良いですか」て店長に聞いたんだけどダメって言われて生ごみとして捨てるの哀しかったなー。
急に思い出した。

山を抜けたところにカラスウリが群生している場所があって、覗いてみたら。
まだカラスに食べられていなかった!
たくさん生ってた☆
でも全部採っちゃったらカラスに悪いので、数本だけ頂戴しました。

エヘヘ。
可愛い。

今日のお散歩は8000歩。
まずまず。


同じことの繰り返し

日曜日に旅行から帰ってきて
月曜日は家中を清めるかのごとく隅から隅まで掃除をして
いつもなら週末にやるべき仕事を午前中にこなし
いつもなら週末にやるべき大学の課題もお昼をまたいでこなし
そして、毎週月曜日に行く買い出しに14時ごろ出掛けた。

そして火曜日。
いつも通り、チビッコ教室。
教室が終わって、家を「教室」から「暮らす家」に戻して
お茶とおやつ。
それから1時間程度横になる。
これは膝と腰を痛めないためのルーティン。

起き出して、翌朝配信する保育レポートの作成。
相撲を見ながらチョットした家事(今日は夫宅から持って来た繕い物)

先週は木曜日から日曜日まで「非日常」を満喫し
今週は月曜日から全力で「日常」を取り戻す。

「日常が大好き」という事を確認するために旅行に行くみたいだな。と毎回思う。

毎日同じ時間に起きて
雨戸を開けて、空を見てから天気予報を見て。
1階に降りたらまずお湯を沸かす。
そしてトイレに行って洗面。
お弁当作りと朝食作り。
娘を送り出したら、朝のエクササイズ。
それから朝ごはんを食べて、小1時間お茶タイム。
教室がある日は8時に始動。
無い日は8時半に始動。

毎日おなじ事の繰り返し。
週単位でもだいたい「やること」が曜日ごとに決まってる。
そういうのが好きだし、安心する。

空を見るのが好きなのも
「今日も同じ」て思えるから。
月は同じ分だけ満ちたり欠けたり
太陽は東から必ず昇る
夕方は反対側が赤くなって
また月が出る。

私の中で、雨は「非日常」のポジション。
だから雨は嫌い。
多分、イギリスとかで暮らしたら病むと思う。
服が濡れるのも大嫌いだし。

今日も「いつもとおりの火曜日」で
とても平和な1日だった。

夫の赴任先へ上陸

夏に未遂で終わった「夫の赴任先へGO!」計画。
6月に単身赴任をして早5ヶ月。
ようやく行って来ました☆

せっかくなので1人旅もプラスしちゃいなよ。という夫の提案により。
木曜日の夕方出発し、木曜日はホテル泊。
金曜から日曜日まで夫の家に宿泊する予定でした。

が。
なんと木曜日の仕事中に夫からlineが。
「緊急事態発生により来ても会えないかも」
仕事中なだけに、そのlineの内容を確認したのは仕事を終えた13時半。
今日の今日って!!
数日前から段取りして、ようやく重い腰を上げて「行くモード」に切り替えた矢先。
行くのやめようかなーとも思ったけれど。
当日のキャンセル料と、それまでの手配のめんど臭さを天秤にかけて「行く」事に。

まー、まだ会えないと決まったワケじゃないし。
会えなかったら家の掃除だけして来るか。

てなワケで。

木は1人でホテル泊。金曜日は後追いで来る娘と1泊ホテル泊。
土曜日に夫宅へ移動して1泊。という日程に急きょ変更となりました。

平日の夜の空港のガラガラ具合。

それにしても相変わらず飛行機の不快指数ったらない。
離陸時の耳痛から始まって、着陸前の高度を下げる段階から吐き気との闘い。
高度が安定してからは多少マシにはなるものの、耳通はまったりと続く。
人間てそんなに気圧の変化に耐えられるように作られていない筈なのに、多くの人は飛行機の中でそんなに不調にならないという。
どういうコトなんだろう。
進化したんですかね。私は進化に取り残された組なんでしょうか。
残念。

ヨボヨボになりながら福岡空港を脱出すると…
「おかえりなさいませ」とまさかのソンバーユがお出迎え。
ソンバーユて福岡の会社だったんやね。
もう10年以上ご愛用だけど知らなかった。

ホテルに到着すると、玄関先にクリスマスツリー。
早くないか?と思ったけど、もう11月も半ばでしたな。
もう今年終わりなのね。

コロナのせいで季節感ゼロのまま年末に突入しそうな勢い。

博多駅のこのド派手なイルミネーションを見ても全くウキウキしない。
完全に「季節感時差ボケ」が生じております。
全然1年経った感じがしない。



クリスマスはさておき。
1人で福岡の町を散歩したりスーパーを偵察したり、電車に乗って太宰府天満宮まで観光に出掛けたり。
太宰府天満宮は天満宮よりも、むしろその後ろの山にある稲荷神社が私的にはツボでした。
石の祠があったり、干支別に12本もガラガラ鳴らす紐がぶら下がっていたり。
山も鬱蒼としていてコンコン様が住んでいそうなロケーション。

すっかり旅気分が上がって来てご機嫌。
参道にあるスタバでお茶すること2時間。
持参した小説を最後まで読んでしまった。
家事も無いしごはんも作らなくて良いし。
外に出ると暗くなってた。


夜ごはんは1人で飲み食いしても浮かなさそうなヨサゲなイタリアンの店があったので入店。
案の定、マスターは無口で親切という最高の感じだし、お料理はおいしいし、アラカルトでポツポツ頼んでも嫌がられない雰囲気だし、とても居心地が良かった。
なんならまた来たい。


土曜日は娘と2人、夫宅へ移動して、3人で市内観光へ。


福岡版シェアバイク「チャリチャリ」に乗って、中州、天神、大濠公園。
福岡の繁華街は私が思っていたより規模が全然デカイ。
そして街から外れた場所にまで満遍なく飲み食いする店がある。
しかもどの店もそこそこ繁盛している。
つまり、福岡の人は外で飲み食いするのが好きだし、日常的に外で飲み食いする人がたくさんいるってコトなんだろね。
飲食店がとにかく元気な街でした。

大濠公園でお茶しながら「大宰府天満宮良かったよ」と話したら、娘が行きたがりまして。
夫もいったことないと言うので、まさかの2日連続で太宰府天満宮。笑
まー、いいのよ。
家事があるわけでもなく。食事を作るワケでもなし。
















ところが。
大宰府天満宮の山頂で夫の会社から電話が。
夫、急きょ仕事へ戻るコトに!
ガーン。あわれ夫。

3人で食べに行こうと予約していたお店はキャンセル。
夫の家の近くにある串焼き屋さんへ娘と2人で晩ごはんを食べに行くことに。
コレがまた。
大当たり中の大当たり。
私、串焼き屋さんにはチョットうるさいです。大好物なので。
美味しいし安いし、大将が元イケメンのじいちゃんだしで。
カウンターに座って娘と2人、串を食べる日が来るとは。
楽しい夜でした。






この日、夫の帰宅は1時過ぎ。
働き過ぎです。完全に。

日曜日は朝ごはんを3人で食べて、そして夫はまた仕事に行きました…。
夫よ。
次回は12月の姉の納骨の日かしらね。

しかし夫。
思った以上に普通に生活していて、それが今回の旅で一番驚いたこと。
家では食事のコト以外はなんもしない人だったので、なんも出来ないのかと思っていたのだけど。
「何でもできる」という事が判明しました。
夫より先には死ねないと思っていたけど、私が先に死んでも全く問題ないな。と解ったコトは大きな収穫でありました。(ニヤリ)

どうなるコトかと思った福岡への旅。
無事、夫とも会えたし、娘も始めての1人新幹線も経験したし。
連日お天気にも恵まれて良き旅となりました。

自戒

の定期テストが終わりました。
また体調を崩すんじゃないかとハラハラしておりましたが、なんとか最終日まで持ち堪えたようでホッとしております。

テストが受けられないことよりも、テストのたびに体調が崩れるなんてコトになったら学生生活がままならなくなってしまうワケで。
何しろ学生というのは、定期的にテストがあるワケですからね。
となると、定期的に体調を崩すって事になるワケで、それはどう考えても様々な支障が生じてしまいそうで、アレコレと不吉な事を考えてしまう悪いクセが発動…。
心配性の極み。いかん。

健康第一。
身体が健康じゃなければなんも出来ないし、健康を害するほど緊張するテストってなんやねん。と思うワケであります。

もちろんコレは、の身体と心の問題であって、が自分と向き合わないとイケナイ事だ。

テストも終わったことだし、にチョット聞いてみました。
「学校の定期テスト、緊張するの?」と。
そしたら「緊張してるね、多分」と言うではないですか。

だって、学校の定期テストですよ。
中学の時のように進学にダイレクトに響く内申点があるワケでもなく。
とても意外だった。

「ナゼ?」と聞いたら
「ちゃんと勉強してるから」だそうで。

ほーーー。
なるほーーー。
(相変わらずいつ勉強してるのか全くわからないのだけど。苦笑)

がしかし。
「今まで模試とか受験とか中学の時の定期テストとか全く緊張しているように見えなかったんだけど。それはナゼ? 高校受験の時だってメチャクチャ勉強してたじゃない。」

それについても
なるほどねー。という答えが。

確かに高校受験の時も中学の定期テストも緊張したことは無かったそうだ。
コンクールの時だって「楽しかった!今までで一番たのしかった!」とか言ってたくらいで。

なので、私はテッキリは「緊張しない子」なんだと思っていたのです。

でも、具体的な理由を聞くと、普通に納得した。
私自身も、稀に緊張することがあるのだけど、その理由はの語るそれとほぼ同じだった。笑

私は基本的に人見知りをしないので
偉い人とか初めましての人とかでも、普通に話せるし全く緊張しない。
就活の面接とかも全く緊張しない。
人前で話すのも、割と平気。

でも、例外はある。
稀に「メチャクチャ緊張してしまう時」があります。
その法則は自分でもわかっている。

どうやら、娘の緊張も、私のそれと同質のモノのようだった。笑

娘は学校が好き過ぎるのですな。
そしてそれは、私にとって嬉しい告白でもあった。
逆を返せば、小学校にも中学校にも、娘がそこまで大切にしたい場所は無かったという事でもある。

特に中学の3年間は本当に日々大変そうで、親から見てると、中学時代の方が余程病んでしまいそうなくらい大変そうに見えたのだけど。

逆境に強いからと言って、全ての事に強いワケではないものね。
自分自身を考えてもそうだ。

その「線」はヒトそれぞれ過ぎて、周りにはワカラナイってコトなんよね、きっと。
自分だけがワカル「線」。
それを自分で意識して、身体も心も整えることも含めて「思春期」なんだなーと。

まだまだ16歳。
これから大学へ進むとしたら、まだ社会に出るまで6年もある。
娘も自分で自分の薬を見つけてくれたら良い。

私はとりあえず「心配し過ぎない」ようにしなくちゃな。
それが足かせになることもあるものね。
自戒。

ババアです。

夫の赴任先にあそびに行くに当たり。
私はGOTOを使ってホテル1泊+夫の家に2泊。
娘は普通に行って帰って2泊。

つまり、私と娘は行きは別々、帰りは一緒。
手配するルートが別々。

となると、緊張するのは帰りの飛行機デス。

同じ飛行機に乗りたいのに、別々に予約するワケです。
しかもオンライン予約。
やった事が無いことにビビって挙動不審になるのは、いつの世でもオバハンの宿命。

私が予約した時は「ANA」って書いてあったのに
実はそれはANAではなくてスターフライヤーだったんですよ。とか言われてもね。
仕組みもワカラナイしそもそもスターフライヤーって初耳だし。

知らないウチにLCCめっちゃ増えてるんやね。
ピーチ・バニラとスカイマークで止まってたし、そもそも飛行機なんて乗らないから、その2つだってニュースで見ただけで乗ったことも見たことも無いのであります。

もうアッチコッチ開き過ぎて、どのウィンドウかわからんくなるくらいアッチコッチやりながら。
ようやく予約が出来たのですが。

「予約確認メール」から「予約完了サイト」へ行き、さらに確認していると…。

搭乗の2時間前に。
とか
パスポートを必ず。
とか
必ず往復のチケットで。
とか

書いてあるんですが。

え。
これって海外に行く時にアレじゃないの?
国内線で2時間前とかアリエナイすよね。
九州ってパスポート要らないよね。
とか。

手元にチケットが無いってこんなにもオバハンを不安にさせるのです。

この不安を抱えたまま当日を迎えるのは無理過ぎと覚悟して
スターフライヤーのサポートデスクにお電話いたしました。

感じの良い優しい声のお姉さんに、まずこう切り出しました。
「○○のサイトより、○月×日の××便を予約しました。ワタクシ、ネットで飛行機を予約するのが初めてなため、予約完了サイトを詳細に読んでいたのですが、いくつかワカラナイ事がありまして。」
「大変お手数ですが、教えていただけますか。」

オバハンは困惑しておるのじゃ。
若人よ、教えてオクレ。
なるべく優しく…。

というメッセージを込めて丁寧に簡潔に、申し上げましたら。

「はい、それでは…」と優しいお姉さんは、私の言葉を途中で食い気味に被せて来たりもせず、不安に思うことを先回りして、アレコレと素敵に指南してくださいました。

ありがとう。
サポートデスクのお姉さん。

九州への入国にパスポートは要りませんし
搭乗20分前までにチェックインすればよいですし
番号だけで不安なら、なんならQRコードを印刷してお持ちになればスムーズです

などとご教示いただきまして、安心して当日を迎えられそうです。

さっそく印刷した。
QRコード。

チケットレスの筈が、この旅行における準備として「A4の紙8枚」。

ババアです。

4年生になった('ω')ノ

3年前に通信制大学に入学し、この秋より無事に4年生になった。
秋学期からの入学なので、大学の手続きの都合上、4年半かけて卒業出来る。
つまり2017年度の秋から春までの半年は「オマケ」で、2018年春に入学した人達と同じ学年という扱いなのですな。
つまり、私は息子が大学に入った年の入学となるので、息子と同じ年に学部を卒業することになる。

通信制大学の卒業生は科目履修生が多い。
つまり、既に大学を卒業した人が、新たな学びを得るために興味のある分野の学位を取得するために入学するのだ。
モチロン、私のように高卒で1年生から正科生として入学する人も一定数いるのだけど、一般的に生科生の卒業率は極めて低い。
ちなみに私が在籍する大学では、正科生が4年で卒業する割合は1割だそうだ。
仕事をしながら課題をこなすのが大変だという事もあるけれど、1,2年生の頃は「学びたい分野」とは違った「教養科目」が多いので、恐らくここでメゲてしまう人が多いのだろうと推測する。

通信制は通学制と違って「出席していれば単位がもらえる」という科目は無い。
先生によって課題の難易度にバラつきはあるものの、全て課題をこなさないと単位がもらえないので、「学びたい専門科目」以外の科目も面白いと思えないと、なかなか厳しい道のりなのかもしれない。

私が通信制大学に入ろうと思った動機は大きく2つあって。
1つは子どもの発達心理をもっと深く学びたかったから。
巷にある「○○講座」のほとんどは「さわり」の部分を何講座か積み上げたもので、しかも高額。
高額さに後ろめたさがあるのか、全て終了すると認定証のようなものが発行される。

それか、啓発のための単発の「入門講座」か。
こちらは、例えば市が開催していたり、志を持たれている先生が開催されていたりして、そんなに高額ではない。

でも、どちらも「入門編」なのよね。

それで、調べれば調べるほど「ちゃんと学ぶなら大学に入るのが一番手っ取り早くてコスパも良い」という事がわかったのです。
でも、大学に毎日通学するなんて仕事があるから無理。

と思っていたら。
ある時、ひょんなことから「通信制大学」という選択肢がある事を知って、一気に興味のアンテナが立った。
値段も「ナンチャラ講座」なんかにチマチマ通う事を考えるとずっとお得。

奇しくも息子が大学選びをしている最中のコトだった。

私の「大学で学びたい!」という欲が高まって、さらに背中を押したもう1つの理由は、まさに息子の大学入学という出来事。

一緒にオープンキャンパスを回り、大学生の姿を目の当たりにするウチに
「大学に行きたかったケド、家庭の事情で行くことが出来なかった18歳の自分」と向き合うコトになったのですな。
あれから30年もの歳月が流れて、そんなコト考えたことも無かったのだけど。
蓋がパカッと開いてしまったんだなーという感じ。

夫も息子も娘も「行けばいいじゃん!」と軽くOKしてくれて、俄然ヤル気になった3年前。

今、無事に4年生になって思うのは。
大学の学びは1からとても楽しかったし、今も楽しい。
あと1年半で卒業だけど、終わりになっちゃうのが寂しいし、まだまだ色んな事を知りたいなーと欲が強くなっている。

モチロン「学ぶコト」は大学に行かなくたって出来るのだけどね。

とはいえ
その道のプロフェッショナルが系統立てて教えてくれる機会なんて、大人になるとなかなか無いし。
スクーリングで出会う色んな年齢の、色んな背景のある人達との出会いも楽しい。

自分が大学で学んでみて、ますます思うのは。

「勉強ってやらされるモンじゃなくて、自分が知りたい事を知るコトだよ」てコト。

これは、自分自身の子育ての中で、子ども達に一貫して言って来たコトなのだけど。
小学校に入った時に、この言葉を2人ともに言った。

今振り返っても、それはやっぱり私の本心だし、今も変わらない。

嫌いな教科があったって良いし
やりたくない科目があったって良いと私は思ってる。
そんなコトよりも
「学びたい、知りたい」と思うことに夢中になれるコトは、きっと楽しいってコト。
それは、必ずしも大学じゃなくても良くて、自分の「知りたい」欲を満たしてくれる場所なら、どこでも良いと思っております。

息子も娘も、そんな風に「好き」を突き進んで欲しい。

母に感謝

久しぶりにプールに行った。

仕事が休みの日にプールに行ったり映画を見たりお散歩をしたり。
「日常」の愛おしさよ。

が亡くなってからもうすぐ1ヶ月。

人が亡くなると悲しいのは、現世では「もう会えない」からだ。

人が亡くなって苦しいのは、挽回することが出来ない「後悔」だ。

私は17歳で母を亡くした後。数年の間、ずっと大きな後悔に苛まれていた。

「もう会えない」という悲しみは、時と共に薄れていく。
でも「後悔」は時が経つにつれ、変質して心を蝕む。

母が亡くなって数年経ち
私は成人し、色んな人と出会い、色んな人から色んな話しを聞き、たくさんの本を読むうちに
後悔を昇華させるには
「2度と後悔しないような生き方をするしかない」という事を学んだ。

これは、母が私に残してくれた大きなプレゼントだ。

目先の損得とか
自分を憐れんで相手を慮れない弱い心とか
ズルしたり
だましたり
嘘を吐いたり

そういうことをすると自分の心が腐るという事を、母が教えてくれたんだと思う。

その後、長い間離れて暮らしていた父を亡くし。
が病気になり。
そして先月、も亡くなった。

だけど、母が私に残してくれたプレゼントのお蔭で
私は、父の死に際しても、の死に際しても、後悔は無い。

自分の気持ちを優先しそうになった時は、あの苦しさを思い出せばやり過ごせた。

去年、の病院にお見舞いに行くと
「shonはずっと優しいね。」
「私は何も返せないよ。」
はよく言っていたけれど。

別に優しくしていたんじゃない。
姉の事が好きだから、後悔したくないから「普通」に接していただけだ。

好きじゃない人の事は、ハッキリ言ってどうでも良い。
私の人生に含まれていない。

好きな人を失った時
「悲しい」という気持だけで送れるような生き方をすること。
それがとても大切なんだという事を母が教えてくれたんだと思う。

悲しみは時間と共に癒えるものだからね。

きっと今ごろ、姉は父とたくさんお喋りしてると思う。
姉はファザコンだったから。

信頼関係と安心感

10月になった。
コロナのせいか年のせいかワカラナイけど、2020年はまだ始まって3ヶ月くらいしか経ってないような感じがする。‪

昨日のお月さまはキレイだったなぁ。
中秋の名月。

毎年、チビッコ教室ではお豆腐を白玉粉で「お月見団子」を作っていたのだけど、今年はコロナがあるのでやめた。

なんだけど。

お団子作りは楽しいし、自分達で作った物を食べるのは楽しいし美味しい。
でも、お団子ってめちゃくちゃ危険な食べ物だからね…。
毎年、お団子を食べる時は絶対に立ち歩かないように見張りつつ、大きさも茹でる前に小さく千切って調整するし、口の中に2つ入れちゃダメよ、とか。
よくよく考えると、そこまでしてお団子を食べなくても良いよね。
今さらながら思う。苦笑

チビッコ教室の運営で、コロナの影響によって変更になった点は他にもいくつかある。
その中の1つが「お迎えの時に親は家の中にあがらない」ようになったコト。

以前は、お迎えのタイミングで家に上がってもらって、サヨナラの会を見てもらった後、お母さん達に伝達事項を伝え、そして放課後は30分程度部屋を開放していた。
お母さん方の交流の場にしてもらったり、子ども達も引き続きデッキやお部屋で遊んだりして流れ解散…のようにしていたのだけど。

これはこれで機能していたし良い点もたくさんあったのだとは思うけれど、無くてみたら拍子抜けするくらい「あ、別にコレでいいじゃない」と。苦笑

子ども達は3時間めいっぱい遊んで疲れているし、大抵、お母さんの顔を見るとホッとして崩れる。
その状態から30分自由あそびの時間が増えたところで、子ども達にとってはどおって事なくて、この放課後の30分はどちらかと言うと「お母さん同士」の交流の場として機能していたと思う。

私のお教室では、子ども達が自分のリュックを自分で背負って歩けるようになる秋以降は「公園解散」の日が増える。
公園で解散とすれば、お母さん同士「交流したい人」は居残るし、「パッと帰りたい人」は帰れるので、このくらいが丁度良いのかもしないな。と。

私のお教室も今年で8年目。
まだまだ色んな事に気付くし、年々シンプルになって来ている気がする。
経験を積めば積むほど、子ども達の成長に大切なことは「日常」の延長にある事なのだと再認識させられる。
目先のイベントで興奮するようなコトは、年に数回あれば良いんだな。と。

信頼関係と安心感。

これに尽きるんだと思う。
あと何年やれるのかワカラナイけれど。

後回しに出来ない。

昨日。
晴れたので扇風機を洗った。
こういう面倒くさい事をすぐのやるのが私の特徴のひとつ。

こう書くと「長所」みたいに聞こえるけど、必ずしもそうとは言えない。

ナゼなら「後回しにしない」のではなくて「後回しに出来ない」んよね。

嫌な仕事が「残っている」と思うと凄く気持ち悪い。

後でやれば良いことでも、どうしても後回しに出来ない。

結果、常に「やる事リスト」に追いかけ回されることになる。

「後回しでイイや。」て思えたら楽なんだろうなーと思うけど。
絶対に出来ないという事だけは知ってる。
今までの経験から。苦笑

天気が良いと「やる事リスト」も増える。

1人散歩

久しぶりに鎌倉散歩。
家を出る時は北鎌倉を抜けて扇ガ谷まで行って海蔵寺の萩を見に行こうと思っていたのだけど。
またまた北鎌倉の裏路地に1本入ってしまったら、裏路地の沼にハマってしまった。
初めて歩く路地が大好き。

北鎌倉は1本入ると車が通れないような細い道が幾筋もあって、隣接して建つ家々を眺めながら歩くだけで楽しい。
古い家を丁寧に手入れして暮らしているおうちがたくさんあって、庭や生垣もステキ。
この家も石垣に萩がワッサーと咲いていてとても素敵だった。

適当に歩いていると、北鎌倉の老舗cafe「ギャラリーネスト」を発見。
実はこのお店、数年前に地図を見ながら行ってみようと思ったことがあるのだけど。
辿り着けなかった(お約束)。
今日、その店の前に立って解ったことは、以前探していたエリアは線路の反対側でした。
地図を見て進むと大抵逆に行ってしまうワタシ。
ホントに酷い。

でも、1度来たところなら大抵忘れない。
道は地図とか方角とかで覚えているのではなくて、景色で覚える。
ちょうどお昼時だったし、せっかくなので入ってみることに。
日替わり弁当のランチセットを注文。

竹のお弁当箱に少しづつおかずが入っていて美味しかった。
鮭の南蛮漬け
酸っぱい野菜
牛肉のしぐれ煮
茄子の煮びたし
出汁巻き卵
ポテサラ
金平ごぼう
きゅうりと若芽の酢の物
サツマイモの甘煮
小豆ごはん
デザートは5,6種類から選べるのだけど、栗の渋皮煮と木の実が入ってるアイスにした。

窓際の席に通してもらったのだけど、竹藪の向こうに円覚寺側の山が見えた。
とても静か。
お客さんも私の他に1人しかいなくて。
のんびりとした時間を過ごす。

そこから北鎌倉に降りて東慶寺でも行こうかな。と思ったのだけど。
歩いていたら大きな地図看板に遭遇。
左に行くと北鎌倉。
右に行くと山崎小と書いてある。
山崎小?方向音痴なのでイマイチ位置関係が解らない。
でも行ったことが無い道の方が楽しそうなので右に行くことに。

そしたらなんてことない。
行きに通って来た道の数十メートル奥をほとんど平行に通っている道だった。笑

「そうか。山崎は北鎌倉エリアだったのか。」と自分の中のカテゴリー図を書き換える。
そんで、全然知らない道と知ってる道に繋がっていると知って心の中で「大発見」とか思うワケです。
誰も一緒に感動なんてしてくれない系のアレですが。

まー。お散歩の醍醐味なんてそんなモンですからね。

それから今日は野良猫にたくさん出会った。
でも今日の猫はどの猫も触らせてくれなかった。
ちぇ。


眼鏡オン眼鏡

老眼鏡の威力を思い知った。
私は普段は、眼鏡を掛けている。
なので、手元が見えない時は眼鏡を外せば問題なく見える。
なので、老眼鏡は必要ないと思っていたのだけど。

チビッコ教室の時にですね。
コンタクトを入れるのですよ。
手元を見る時にいちいちコンタクトを外すワケには行きません。

見えないんですな。笑

例えば手にトゲが刺さったとか。
そんな時に見えないってのは困ります。

そこで、物は試しと100円ショップで老眼鏡を買ってみたのですよ。

そしたらば。
見える見える。
すごいな老眼鏡。

感動ついでに試しに眼鏡の上から老眼鏡を試してみた。
ダブル眼鏡。

眼鏡オン眼鏡。

そして見えます。
眼鏡の上から老眼鏡をかけても見えるのです。

老眼鏡、強い。
とても外で出来ないけど。

眼鏡を遠近両用にするには、まだ作ったばかり過ぎて躊躇われ。
眼鏡を外せば手元は見える。
外したくない時ってそんなにないけど、とにかくダブル眼鏡で行ける。ということだけは解った。


大根


突然寒い。
ウチの子ども達はフロフキ大根が好きなので、さっそく作った。
すごい勢いで食べるので大根1本すぐに消費される。

よくよく考えると大根て物凄い単価の安い食材よね。
あんなにデカイのに1本150円くらいで買えるでしょう?(大船価格かもしれんけど)

フロフキ大根
細切りにして梅酢で揉んでユカリや醤油なんかで味変して副菜の1品
大根おろし
豚汁に代表される味噌汁の具の定番
醤油みりん酒で豚肉なんかと炒めたり、ブリ大根や鶏大根なんかは立派なメイン料理になるし。

1本で相当使える。
こんな食材って他にはキャベツくらいじゃないかな。
キャベツも相当えらい子だけど。

キャベツと言えば、今日の娘のお弁当。
仕切りに使うレタス的な物を切らして、仕方がないからキャベツを千切って仕切りに使ったのだけど。
いつも仕切りで使ったレタスやサラダ菜は食べて来る娘。
果たしてペロンと千切られた生のキャベツは食べて来るだろうか。
はたまた「なぜ仕切りにキャベツ?」とクレームが来るであろうか。
ニヤリ。

まったくね





姉のお骨を分骨してもらった。

神奈川の隅っこに私の父母が眠るお墓がある。
姉と私が20代のころ、2人で建てた。
このお墓はウチで繋いで行くことにしたので、姉の小さなお骨もウチのお墓に納骨させてもらうことにした。
ウチのお墓への納骨は、義兄の方の本体(?)の納骨が済んでから、と思っている。

ところで、ウチには仏壇がある。
父方の祖父母と、私の父母のお位牌が並ぶ仏壇。

この仏壇、姉と離れて暮らすことになったタイミングでどっちが持って行くかでヒト悶着あった。
姉が「絶対に私は持って行きたくない」と言い張ったので、自動的に私が持つ事になった。

だって「私だって持って行きたくない」と言ったら。
「じゃあ捨てよう。2人とも要らないなら捨てればいいじゃん。」とか言い出したんですよ。
ていうか、本当に捨てるんですよ。姉は。
信じられない事を平気でする。

だから仕方がないから私が持つことになり。
持っていればお線香だってあげるだろうし。
お花だって飾るだろうし。

姉はウチにあそびに来たって仏壇に手を合わせたことなんてない。
何しろ「捨てればいい」って言ったくらいですから。

でもまぁ。
今となってみると、やっぱり私が持っていて良かったんだと思う。
姉が持って行ったら、間違いなく引っ越しのタイミングで捨てただろうし。
何の因果か、姉のお骨も結局、父と母と同じお墓に入ることになった。

姉の位牌は私の手元にはないので、姉が力を注いで作った書籍のキャラクター人形を姉の位牌替わりにもらって来た。
「仏壇なんてなんの意味があるの?」と仏壇の中でもまだ言ってるみたいで笑ってしまう。

そして結局、私はここに花を飾って手を合わせている。

まったくね。

淡々と


姉の葬儀のために帰宅した夫。
6月の中旬に赴任して、3ヶ月ぶりのご帰還。
そもそも「連休」を取るのも3ヶ月ぶりだったそうで。
ていうかこのところ土日も働いているらしからな。

姉を送った後、夫は久しぶりの我が家と久しぶりの休日を満喫していた。

自転車を磨いて
食料とタープを持って海へサイクリング。
海岸に寝転んで映画を見たり、飲み食いしたり、昼寝をしたりしていたらしい。

それは夫の「いつもの休日」

「気分転換に一緒に行く?」と誘われたけれど。
心身共に疲れていたし、ちょっとボンヤリしたかったので。
私も私で家で1人のんびり過ごした。

夫はサイクリング。

娘はコンクール本番。
今年は親は見れない。

息子はバイト。
それから、22日は21歳の誕生日だった。

誰かが居なくなって
誰かが生まれて
雨が降ったりやんだり
休みがあって働く日がある
学校に行ったり部活をしたりバイトに行ったり
食べて、寝て、起きて、また食べて。
みんな同じだけ1日づつ年をとる。

世界は滞りなく動いている。

誰かがいなくなっても、全然普通にまた1日がはじまる。
淡々と。

そして夫は赴任先へ。
ミニベロ君を輪行バッグに詰めて一緒に。
これで赴任先でも休日に自転車に乗れるね。
良き。

また会おう

姉が亡くなりました。

15日、チビッコ教室が終わった後。
義兄から姉の具合が良くないと連絡が入り、車で会いに行った。

ちょうど娘も部活終わりの時間帯だったので、学校から姉の家に直接来てもらう約束をして、娘が来る夕方までの少しの間。
義兄は近所にお買い物に出掛けて、私は姉と2人きりの時間を持つ事が出来た。
1時間くらい。

毎週、姉に会いに行ってはいたけれど。
ていうか、その前もずっと、会い続けていたけれど。
「お別れの言葉」なんてなかなか言えなかった。
それを言ってしまったら、本当にお別れになってしまうような気がするし。

でも、姉には伝えたいことがあった。

私と姉は、家族が一度バラバラになってしまった後、2人で関係を再構築した。
中学生の時、両親が離婚し、姉は家を出て行き、母が亡くなり。
その後、色んな事があって。
恐る恐る始めた「家族ごっこ」のような姉との生活。
暗黙のルール。もう2度と壊さないためのルールを積み木みたいに積み上げながら、キャンプみたいな生活をした数年間。

幼い時に姉と過ごした日々も、もちろん大切な思い出だけど。
でも。
両親が残した「家族の澱」みたいな物を姉と私の間に挟んで向き合って。
2人でそれをチョットづつ消化して。
それを乗り越えても次々と色んな事件が起きた。
オマケにお金も全然なくて、やり方もわからなくて、2人でいつも右往左往していたけれど。
それでも「もう壊さない」「間違えたくない」という気持があったから。

だから、地獄みたいな苦しい気持ちを乗り越えて2人で同じ方向を見られるようになってからは、姉との生活はバカみたいに楽しかった。

全裸が好きな私は、家に帰るとパンツ1枚で過ごしていたのだけど。
とうとうそのウチ姉もパンイチで過ごすようになって、
姉の作ったご飯で毎晩2人で酔っぱらって、真っ裸でテーブルを挟んでお喋りして、映画を見て、休みの前の日は自転車に2人乗りをしてアチコチ彷徨った。
前は姉。私は後ろ。
私が運転手になることはない。
小さい頃から「姉が前」は決定事項だから。

2人暮らしの後期。
姉がイラストレーターの仕事を本格的に始めたころで、家で仕事をしていた姉はよく自転車で駅まで迎えに来てくれた。
2人乗りをしてアチコチ寄り道して、お金が無いから真剣に作戦会議をして「今日のお楽しみ」を買って帰る。
時々、お互いの友達があそびに来たり。
当時「彼氏」だった夫は定期的に現れては、当然のように姉が作った食事を食べ、一緒に飲み食いして一緒に過ごした。

そのバカみたいに楽しかった生活をパッと手放したのはやっぱり姉だったけど。
でも、姉が手放さなかったら、結婚願望ゼロで「家族」を持つ事を恐れていた私は、恐らくあのまま姉と暮らし続けていたような気がする。
そして母にはなっていなかったのだろうな。と。

とても濃密な5年間。
姉と向き合い傷付け合いながら作った「なんちゃって家族のカタチ」は私にとって大切な宝物だ。

あの時期が無かったら、私は「家族」に対する希望を持てないままだったような気がする

*

姉の病気が発覚したのは21年前。
息子がお腹にいた時のこと。
髄膜腫という腫瘍が脳に出来る病気。
癌ではないけれど、進行する。
進行の速度も、増えて行く場所も個人差がある病。

大きな手術を2度、小さな手術は数えきれないくらい。
21年間、よく頑張ったと思う。
軌道に乗りかけていたイラストレーターの仕事も辞めざるを得なくなり。
大好きだった絵も描けなくなり。
視力がジワジワと失われ、体力も削られ。

それでもいつも明るかった姉。

「前向き」というのは「前を向こう!」と努力する人だと思うのだけど。
姉は「前向き」ですらない。
子どもみたいに「楽しいこと」にしか目が行かない人。
どんな状況でも「たのしそう!」と思うことを見つけては、実際、本当に楽しそうだった。

子どもみたいに裏表がない。
子どもみたいに自分勝手で
子どもみたいに見え透いた嘘も平気でつくし
子どもみたいに興味のアンテナが尽きなくて
子どもみたいに色んな事に感動する。

姉に会った人は、みんな姉の事を好きになってしまう。
大人も子どもも。

ウチの子達も姉の事は大好きだ。

私もモチロン。
姉の事が大好きだ。

15日の夜。
2人になった時に姉に伝えた。

また今度も姉妹として生まれて来よう。
今度もマウがおねえちゃんでいいよ。
焦って早く生まれて来ないで。ちゃんと待ってて。
親は、お父さんとお母さんじゃなくてもいいよね。
人間じゃなくてもいいけど。
木とか虫とか動物でも良いけど。
とにかく、また、姉妹で生まれて来よう。
今度はきっと、最初からちゃんと楽しくやれそうだよね。
待ってて。

姉はちゃんと聞いてくれていた。

そして、娘が来て。
娘のこともわかってくれていた。

20時過ぎに姉の家を出て。
ファミレスで娘と食事をした。
22時に帰宅。

その道程で不思議なことがあった。

そして姉は23時に息を引き取りました。

多分、「別荘」と呼んでくれていた我が家にあそびに来てくれたんだと思う。

姉の人生の旅は終わってしまった。
姉のいない世界はつまらないけれど。

でも、私はまだ生きている。

生きている限りは、楽しいことを見つけて笑って生きて行きたい。
なんたって私たちは「最強の面白おかしい姉妹」だから。

マウ、また会おう。


 
プロフィール

shon

Author:shon
何事も「そこそこ」を愛する。

基本的に「ひとり行動」が好き。

ヘッドホンで爆音音楽を聞きながらの整理整頓清掃、半身浴、早朝のピラティスが日課。

ただいま
仕事>主婦業・母業>通信制大学(臨床発達心理学専攻)の3つの間で日常がクルクルと回っております。

息子が赤ちゃんの時に始めたblog…その息子もすでに大学生。
そして我が家の癒しっ子だったモチモチちゃんの娘も中学生になりまして。
母業はそろそろ出口が見えてまいりました。

娘が高校生になったら年1回くらいのペースで1人旅に出るのが当面の憧れ。

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